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兄弟の皆さん、いつものように、
親しみをこめてごあいさつします。
私はワールドユースデー・クラクフ大会から
帰って来たところです。
大会中、サレジオの若者たちは
いつくしみの聖年の体験について
宣言を発信しました。
3週間ほど前、私は皆さんにあてて
次の題で総長書簡を書きました。
「父のようにいつくしみ深く
‐サレジオの心で聖年を読み解く」
これについてお話しします。

まず、教皇フランシスコが呼びかけられた
この聖年に
いつくしみについて語ることは
教皇が語られたように
神がいつくしみ深いということを、
神の名は“いつくしみ”であることを
感じ、知ることです。
このことから、次のことを、
具体的に提案できると私は思います。
まず、神からのいつくしみを
望むこと、求め、願うことです。
自分の人生にそれを願い、そして
いつくしみを人に差し出すため、
父のようにいつくしみ深くなるためです。
同時に、とても大切だと思うことが
あります。
痛み、苦しみ、戦争、
難民となった人々の置かれた状況、
極端な貧しさや飢えに苦しむ人々
強い排外主義や人種差別のあるところ、
世界各地の、
このような苦しみのあるところに
私たちは広がり存在していると
書簡で述べました。
いつくしみ、それはこの現実を前に、
無関心でいてはならない、
私たちの応答が必要だということです。

お伝えしたいもうひとつのことは、
書簡ですでに触れたこと、若者たちも
言っていることです:
いつくしみという言葉を
日常の中で生きるということは、
たゆみない喜びをもって生きること、
家庭的精神を大事にすることを意味します。
それは、私たちの固有の生き方です。
それは、何よりも教育の方法、
信仰を生き、人生を歩む方法である
予防教育法を、
自分は愛されていると実感すべき若者への
尊敬と信頼をもって
具体的に、私たちのあいだで、
人間的きずなのうちに
実現しなければならないということです。
このすべては、
私たちの生き方の特徴です。

書簡で最後に述べたことを、
心に留めて読むことをすすめますが、
いつくしみと言うとき、それは私たちの
置かれた場で、正義とともに
実現されるものだということです。
私たちは、正義を規準とし、
優先的に選ばなければなりません。
一緒に働く人々とのかかわり方、
迎え方やあいさつ、
どのように接するか、
働きに対する正当な報酬を支払うこと……
サレジオの家は、これらの特徴をもつ、
特別な空気に満ちたものであってほしい。
私にとって、それはとても
サレジオらしいこと、
「父のようにいつくしみ深く」を、
ドン・ボスコのように実践することです。

主の祝福が皆さんの上にありますように、
扶助者聖マリアが、この旅を共に
歩んでくださいますように
いつもドン・ボスコのご加護がありますように。
兄弟の皆さん、ありがとう、また会いましょう。